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昭和20年代の富良野〜その2 暮らし

前回は、祖父一家が富良野に着いた日のことを書いた。

▶️昭和20年代の富良野〜その1 富良野へ

 

今回は、富良野での住まいと祖父の職場などについて書いてみたい。

以下は、叔父(三男)の記憶をもとにした話である。事実関係には間違いがあるかもしれない。

 

 

祖父一家が住んでいたのは、税務署の官舎だった。

場所は、富良野高校(旧校舎)から富良野駅の方へ200メートルほど行ったあたりらしい。国道38号線を挟んだ向かい側、ふらのベルコ会館の北側だと考えられる。

官舎と高校の間には畑が広がっていた。畑では輪作が行われていて、作物は、ジャガイモ、ハッカ、除虫菊、冬小麦など。

いまの地図を見ると、そのあたり一帯はすっかり市街地だ。だが、当時は畑や田んぼ、原野ばかり。官舎の周囲や現在の富良野保健所のあたりも、見渡す限り畑だったそうだ。

 

官舎の部屋の窓を開けると、手の届くところに物干し用のヒモを結ぶ柱があった。そこに温度計が下げられていて、叔父は毎朝、それを見るのが日課だったという。

いちばん低かった気温は、マイナス32℃。さすが内陸部の盆地・富良野、市街地ですら想像を絶する寒さである。

 

官舎から富良野小学校の方へ歩いていくと、途中に風呂屋が一軒あった。そこを通り過ぎると小学校の敷地内、校舎と運動場の境目のような場所に出たらしい。

そこが「北海道の中心」とされていた場所で、後に「北海道中心標」が建てられた。

 

どういう計測をした結果かは分からないが、当時からそう言われていたそうだ。

その流れなのか、「北海へそ祭り」が始まった。祭りの発起人は、今はもう亡くなった、叔父の同級生だったはずだという。

叔父は昭和16年生まれだから、へそ祭りが始まった昭和44年に、その同級生は27〜28歳ということになる。

 

祖父の職場は富良野税務署。

場所は、道路を挟んで向かいに富良野西中学校があるところで、ここは当時から変わっていない。

叔父は、よく税務署に遊びに行っていたそうだ。中には卓球台があり、住み込みの小使さんもいた。今で言う用務員、あるいは職員である。

その人に散髪をしてもらうこともあったというから、今ではちょっと想像しにくい。おおらかでのんびりした時代だったのだ。

 

富良野駅から税務署の方へ向かう途中には賑やかな通りがあり、その先に映画館があったらしい。今の「すずらん通り」かもしれないが、はっきりとしない。

税務署長の家族には映画館の無料パスが支給されていて、姉――つまり僕の母――と一緒に映画を観に行ったという。

母が富良野にいたのは、昭和28年4月〜翌年3月と推察される。

当時公開された映画を調べてみると、『雨に唄えば』『紳士は金髪がお好き』『禁じられた遊び』『地上より永遠に』『シェーン』『東京物語』など。

それらを、ティーンエイジャーの母は、小学生の弟と一緒に観たのだろうか。

 

続く

▶️昭和20年代の富良野〜その3 富良野駅の東側

コメント

“昭和20年代の富良野〜その2 暮らし” への2件のフィードバック

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