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『北の国から』シリーズ寸評

 

ゴールデンウィーク12連休😌

暇にあかして、TVドラマ『北の国から』シリーズの各作品についての寸評を書いてみました。一視聴者の戯言(ざれごと)です。

  

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『北の国から』シリーズ:

①1981〜82年の連続ドラマ(全24話)

②’83冬

③’84夏

④’87初恋

⑤’89帰郷

⑥’92巣立ち

⑦’95秘密

⑧’98時代

⑨2002遺言

 

ここ数年のコロナ禍の間に、放置していた『北の国から DVDマガジン』をまとめて観る機会を得ました。感動を新たにしたと同時に欠点も見えました。

放送当時の記憶も掘り起こしながら、忖度なしに正直な感想を書いてみました。

 

評価基準は、未来に希望を持てる話かとか、感動の質がポジティブかとか、そんなところです。作者が言うところの「心の洗濯」の効果の度合いと言えるかもしれません。

辛辣な批判になってしまった部分が多々あります。「可愛さ余って憎さ百倍」というやつでしょう。

 

なお、他人の批評は、毒にもなり得る危険を秘めています🍄💀

他人の批評を読んだばっかりに、自分が大切にしてきたものが壊されて、その作品に幻滅することになるかもしれません。

だから、僕は他人(特に素人)が書いた批評を極力読まないようにしています。読む、読まないは自己責任です🙏

 

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1981年の連続ドラマ(全24話)

後のスペシャル版とのバランスは度外視して、全24話をザクッとまとめて評価します。

いわゆる「原点にして頂点」というやつです。★3つです。

1981年当時、放送開始前にフジテレビで盛んに宣伝していたように記憶します。

僕は北海道出身ということもあり、これはなんとしても観たいと思いました。

 

主人公は黒板純(吉岡秀隆)です。

身勝手な両親に翻弄され、あげくの果てに黒板五郎(田中邦衛)に無理やり富良野に連れてこられました。都会っ子の純は、富良野では完全な異邦人です。

親の、そして社会の「とばっちりを食う」のはいつも子供です。

 

純「電気がない?! 電気がなかったら暮らせませんよッ」

このセリフから立ち上がってくる問題意識は永遠に不滅です。

北海道の田舎ではいまだに電気のない生活をしているのかと、感心した記憶があります。現実にはそんなことはまったくないのですけども。

 

家父長制への憧憬を抱きつつも、いかにも強くて威厳ありげな父親像ではなく、黒板五郎という不器用で情けない男を配したところが面白いです。

 

ところで、純と螢(中嶋朋子)の真冬の服装が薄着にすぎるし、あの掘っ立て小屋で冬を越すのはロマンチックではあれど、現実問題として無理ではないでしょうかね。リアリティに欠け、誤解を招くと思います。

 

最終回の純の回想シーンで号泣したことはよく憶えています。

自室のテレビを観ながら、文字通りわんわん声を上げて泣いてしまいました。主人公の純と自分を重ね合わせて観ていたのでしょう。

「よそ者」感を抱くもの同士、感情移入したのかもしれません。

おまわりさん(平田満)が一緒に運動靴を探してくれるシーンが特に好きです。

 

❌️

『北の国から』には、大いに批判されるべき点もあります。

野生のキタキツネにエサをやるのは、現在の自然保護の観点からは完全にアウトです。

僕も昔、レンタカーの窓からキツネにお菓子を投げてやったような記憶がありますが、今は猛省しています。

現在、知床で観光客がヒグマにエサをやることが大問題になっているようです。これは「ルールルルー」と地続きの由々しき問題です。

 

ドラマの中で、螢が餌付けしていたキツネに純が石を投げつけました。

五郎は純を殴りましたが、純は正しいことをしたとも言えるでしょう。人間に頼るようになったキツネを人間から遠ざけたのですから。

 

それと、喫煙者が異常に多くて、観てるだけで服が臭くなりそうです。これも今ならアウトです。

 

②’83冬

純も螢もまだまだ子供であり、スペシャルと言っても実質的に連続ドラマの続きだと思います。

テーマが重いし、季節が冬ということもあり、とにかく重苦しくて気が滅入りがちです。

でも、スペシャル版の中では北海道という土地の過酷さに焦点を当てた異色作であり、辛気臭いですが見応えのある作品だと思います。

 

さて、五郎が肩代わりした借金をどうやって返したのでしょう。そこがウヤムヤにされたので、気になってしまいます。

今や大御所になった笹野高史さんが若いです。

 

③’84夏

まだ純の子供時代の続きです。

なんと言っても「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!!」が、シリーズ屈指の名場面です。

しかしながら、僕が思うにあのシーンは感動的と言うよりも、ショッキングです。ビックリさせられます。

あれでは、五郎はすぐカッとなる危ない迷惑なオッサンではないでしょうかね。店員さんが気の毒です。

 

未来のネット社会(ネットショッピング、リモートワーク)を予見したかのような、ツトムくんのセリフに空恐ろしさを感じます。

 

前作でも本作でも、純と正吉が布部?から麓郷まで、しょんぼりして歩いて帰りました。

僕も麓郷まで歩いて行くのが目標です。冬以外はヒグマに用心しないと🐻

 

④’87初恋

純と れいちゃん(横山めぐみ)の初恋と別れが、切なすぎて胸が痛くなります。★3つです。

純の歴代ガールフレンドの中で、れいちゃんは別格です。

『北の国から』に登場するすべての女性の中で唯一?、終始一貫して汚れなき存在として描かれています。

純真無垢、清楚可憐、ピュア、聖母マリアか観音菩薩か、そんな言葉を連想させる女性です。

 

ラストの「泥のついた一万円札」のシーンは、シリーズ屈指の人気を誇るようです。たしかに、ハッとしてオーッと思いますね。

しかし僕には、これ見よがしな「感動するだろ?!」的な作為を感じさせるシーンにも思えてしまいます。

 

この時のトラック運転手(古尾谷雅人)といい、連ドラの警官(平田満)といい、チョイ役で素晴らしい俳優が出てくるのが贅沢です。 

  

⑤’89帰郷

最後に純が れいちゃんと奇跡の再会を果たすのが、唯一最大の救いです。あれがすごく嬉しかったことだけ憶えています。

純の東京でのシーンが多くて退屈に感じるし、全体のトーンが暗いです。

 

これまで純の影に隠れがちだった螢の存在感が、俄然大きくなりました。前作は純の初恋でしたが、今作は螢の初恋です。

この後、螢は純を一気に追い越して急速に大人になっていきます。いつまでも子供っぽい兄とのコントラストが面白いです。

 

⑥’92巣立ち

前作と今作は、富良野編の主人公が螢、東京編の主人公が純と、2本立てのような構成ですね。

久しぶりの正吉の登場が嬉しいです。

 

純のダメさ加減、ここに極まれりです。純が東京にいる間のエピソードは、ロクなものがありません。

もし、母親とともに東京に残っていたら、こんな体たらくにはならなかったでしょう。そのかわり、昔の同級生たちのようなペラッペラな人間になっていたかもしれません。

 

『北の国から』は、基本的に男たちのドラマです。

黒板五郎、中畑和夫(地井武男)、北村清吉(大滝秀治)、北村草太(岩城滉一)、笠松杵次(大友柳太朗)、北海道の地べたと格闘する男たち。

今作の菅原文太と大地康雄、後の室田日出男や唐十郎など、漢(おとこ)の臭いがぷんぷんするベテランの役者たちも見どころです。

僕自身は、荒っぽい漢たちの任侠の世界に憧れはするものの、そこに馴染めるタイプではありません。きわめて常識的な、コンプライアンスにうるさい、純と同類の都会っ子です。草太とは水と油です。

 

⑦’95秘密

純が東京を卒業する気になったようで、ご同慶の至り(ごどうけいのいたり)です。

「’89帰郷」、「’92巣立ち」と、純が東京でダラダラしている期間は、僕の中では暗黒時代です。

 

螢は不倫、そして駆け落ち。母親の気質を受け継いだようです。父親の五郎を慕い、母親を憎みつつも、中身は母親だったという皮肉。

母方の宮前さんの系統の女性(いしだあゆみ、竹下景子、中嶋朋子)はみんな不倫しますね。

ナイーブな純が不器用な恋愛をしている内に、螢は良くも悪くもどんどん先を行きます。

 

宮沢りえ は『北の国から』には合わないなぁと感じます。彼女が炭鉱町で生まれ育ったという設定にも、まったくリアリティを感じません。

視聴率のテコ入れのために異物を投入したというのは、うがった見方でしょうか。

宮沢りえが悪いのではなく、彼女はとにかくまぶしすぎます。彼女が出てくると、宮沢りえのドラマになってしまうのです。

 

五郎とシュウが入った吹上露天の湯は、僕も大好きです。

いつかは僕も、純のように富良野から根室の落石まで、下道をぶっ通しでドライブしてみたいです。

 

⑧’98時代

本作は長尺でエピソード満載なので、評価を一つに定めることができません。

正吉から螢へのプロポーズのシーンは、シリーズ屈指の名場面だと思います。本当に美しい、大好きなシーンです。

その後の純への婚約報告のシーンも、まるでコントのようで秀逸です。

 

前作にも増して、宮沢りえが浮いている印象です。前作はまだ良かったですが、本作は正直言って観ているのがつらいレベルです。

 

螢は駆け落ちした男に捨てられ、雪子(竹下景子)は略奪した夫に逃げられました。

バチが当たったのですね。

令子(いしだあゆみ)もバチが当たりました。不倫する女には罰が与えられるようです。

 

一方、逃げた男たちがどうなったかは示されません。悲惨な末路になってくれないと視聴者としては気が済みませんが、きっとうまく立ち回って世渡りしていくのでしょう。

だいたい、『北の国から』は男に甘く、女に厳しいです。女はひどい目にあわされてもひたすら耐え忍ぶのに対し、男はバカということで許されてしまうのです。

ここでは男尊女卑の昭和が健在だと思うのは僕だけでしょうか。

  

⑨2002遺言

最終作ということで、フジテレビの前宣伝にも力が入っていたので大いに期待しました。

そして、期待を裏切らない大作でした。★3つプラス・アルファです。

連続ドラマより高評価なのは、子供の話より大人の話が好きだという単純な理由です。

他のスペシャル版がそれ以前からの続編とするならば、本作はきわめて完成度の高い、映画のように独立した作品だという印象です。

極端なことを言えば、本作を観るだけで十分な満足感を得られてしまいます。

 

『北の国から』のメインテーマは「父と息子の対立と和解」であるというのは、僕の勝手な思い込みでしょうか。

本作では、本質的に都会っ子から抜け出せないままの純が、五郎の気持ちをそれなりに理解して、ついに和解に至ったように思います。

五郎は家父長としての威厳を、暴力的にではなく、その愚直な行動のみで示したのですね。

 

中畑みずえ(清水まゆみ)が病室で螢に向かって夢を語るシーンは、僕にとってシリーズ通じての最大の号泣ポイントです。

ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌが追い討ちをかけます。

富良野演劇工場での「富良野やすらぎの刻」で観たときには、嗚咽をこらえるのに必死でした。

 

ただひとつ、純と涼子先生(原田美枝子)との再会シーンはいただけません。あまりにもご都合主義に感じられ、鼻白みました。

 

本作のハイライトは、最後の最後に黒板五郎が遺言を語るシーンだと思います。『北の国から』シリーズ全体のクライマックスと断言したいです。

五郎の遺言は、作者の思想のエッセンスであり、『北の国から』の世界観の集大成なのだと思います。

 

連続ドラマの第二回で、「オレはーー馬鹿だから、ーーうまくいえんが」と、涼子先生に向かってモゴモゴ言っていた五郎。

1981年から21年かかって、口下手な五郎がやっとのことで言いたいことを言い切ってくれました。

長年の視聴者としては、「結論が出た」、「あぁスッキリしたぁ」と、胸のつかえが取れたような思いがしたのでした。

僕は、五郎の遺言を暗記するくらい愛しています。

 

 

以上、なんやかんやと文句も書きました。

『北の国から』は、重箱の隅をつつくように観るものではなく、無心でその世界観にどっぷりと浸るべきものなのかもしれません。

 

いずれにせよ、ランク付けして優劣を決めるとか、他人と自分を比較して一喜一憂するとかは、『北の国から』の精神から最も遠い行為かもしれません。

 

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