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昭和20年代の富良野〜その7 補足、富良野の後

前回▶️昭和20年代の富良野〜その6 祖父の奮闘を想う

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昭和20年代の後半に富良野で暮らした母方の祖父(1905〜1987)の一家。

当時のことについて叔父(三男、1941〜)から追加情報を得たので、叔父の語りの形で書き記しておきたい。 

 

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【駅前旅館】

富良野に着いた初日に泊まった旅館は、駅前広場を挟んで駅舎と対面する、まさしく駅前にありました。

名前はたしか「富良野旅館」だったと思います。

 

▶️昭和20年代の富良野〜その1 富良野へ

▶️昔の富良野

https://www.city.furano.hokkaido.jp/life/docs/2015022100490.html

 

【映画】

当時は映画が娯楽の王様で、税務署長の家族には映画館の無料パスが支給されていました。

▶️昭和20年代の富良野〜その2 暮らし

 

時代劇が全盛の時代であり、母はとりわけ長谷川一夫のファンでした。

母に連れられて映画館へ行くと、観るのはたいてい時代劇か、あるいは三益愛子主演の、いわゆる「母もの」と呼ばれる作品でした。

 

母は、映画の筋〔物語〕よりも、良い俳優を見に行くと言っていました。

スクリーンには、市川歌右衛門、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、坂東妻三郎といった名優たちが並び、長谷川一夫の相手役には京マチ子が出ていた時代です。

子ども心には、「母もの」の映画で見た、松島トモ子の姿が強く印象に残っています。

 

▶️富良野の映画館

https://hekikaicinema.memo.wiki/d/%C6%BB%CB%CC%A4%CE%B1%C7%B2%E8%B4%DB# 

 

もっとも、富良野は地方の町ですから、都会のような封切り上映はなく、公開から何か月も経った映画が二本立てで、三日ほどかけて上映されるというのが普通でした。

洋画も、まったく無かったわけではありません。

姉や兄はチャップリンの『ライムライト』を観たと言っていたし、私もチャップリンの『独裁者』を富良野劇場で観た記憶があります。

ただ、アメリカの大作映画は高価だったため、地方の劇場にかかることはほとんどなかったです。

 

中井貴一のお父さんの佐田啓二と、岸恵子が主演の映画『君の名は』(NHKの連続ラジオドラマが映画化されたもの)を、富良野で見ているかも知れません。

母は『君の名は』に熱狂していたと思います。

▶️『君の名は』

https://www.shochiku.co.jp/cinema/database/02805/

 

映画館は映画だけの場所ではなく、浪曲や女剣劇の公演も行われ、町にとっては貴重な娯楽の拠点でした。

そうした催しを、母は心から楽しんでいたのではないかと思います。税務署長である父母は地方ではいわば名士の夫婦であり、長男は内地の大学生です。生活には余裕があり、誇りもあったでしょう。

 

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その後、父は富良野から道南の江差町に転勤し、故郷に錦を飾ることになります。

それから、余市町へと転勤しました。

余市といえば、ニッカウヰスキーの町です。酒造会社は酒税の関係で、税務署との結びつきが強いのです。

酒には定率の税金がかかっているので、出荷量などを税務署に正直に申告しなくてはなりません。

父は、ニッカの創業者の竹鶴政孝(1894〜1979)と親しくしていたといいます。竹鶴さんがまだ健在だった時代のことです。

 

▶️余市蒸留所

https://www.nikka.com/distilleries/yoichi/

 

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父は、最終的には札幌で定年を迎えました。

子供たち3人は、それよりずっと前、昭和29年頃に富良野から札幌に移っていました。

3人姉弟の家は、南20条西8丁目にあり、札幌市電の「山鼻19条」が最寄り駅でした。「東屯田通」の駅前に市場があり、帰宅途中によく買い物をしていました。

私の中学は市電の曲がり角にある柏中学校、兄は札幌西高校へ通っていました。

 

姉(注:僕の母)の職場は「北海道日産販売(株)」で、場所は北6条西5丁目辺りの、今はヨドバシカメラがあるあたりかと思います。

当時は、国鉄函館本線は地上を走っており、道路が跨線橋でレールをまたいでいました。

「すすきの」、「西4丁目」方面から来た市電は、「札幌駅前」を過ぎてから跨線橋を渡り、北海道大学の塀に沿って北へ向かっていました。

 

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以上が叔父に聞いた話である。

知らなかったことが次々と明るみに出て、驚くやら感心するやら。人に歴史ありとはよく言ったものだ。

まだ幼かった僕が記憶しているのは、札幌の北24条にあった家であり、税務署を退官してずいぶん経ってからの祖父の姿ということになる。

 

祖父はお酒の関係の仕事をしていたと記憶する。夏休みに札幌の家に遊びに行くと、自家製の果実酒が入った大きなガラス瓶が、いくつも並んでいたのを憶えている。

なるほど、祖父と酒との関係はそういうことだったのか…と、今さらながら知ったのである。

折しも現在、NHKの連続テレビ小説『マッサン』が再放送中。玉山鉄二が演じるあの主人公と祖父が親しかったとはビックリである。

 

 

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祖父は生前、自分の年齢を「明治38歳」と言っていた。明治38年生まれということを、洒落っ気のある言い回しをしていたのだ。

そんなユーモアのあった祖父は、昭和62年(1987年)の7月に、82歳で亡くなった。

僕が最後に祖父に会ったのは、その年の春休みに、札幌の病院に見舞いに行ったときのことだ。

僕が病室から去るとき、祖父はベッドの上で右手を上げて、さよならのポーズをとった。僕も右手を上げ返した。それが最後の別れだった。

いつもの優しく穏やかな顔だったのを、今でもはっきりと憶えている。

 

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こうして母方の祖父母のことはある程度知ることができたが、父方の祖父母のことは今となっては知るすべもない。

 

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ところで、NHKの『ファミリーヒストリー』という番組があるが、あれはどうも引っかかるのだ。数ある祖先の中の、特定の一人の男にスポットを当てるからだ。

祖父母は4人いて、その前には8人いて、4代さかのぼれば16人の祖先がいるではないか。

長男をさかのぼる旧来の家系図というものは、封建的な「家制度」と「家父長制」の産物であり、個人にとってはさして意味のないものだと思う。

誰でも数代〜数十代さかのぼれば、どこぞの「偉人」か、あるいは「偉人」と共通の祖先にたどり着くのではないか。

10代さかのぼると1024人、20代前で100万人、30代前で10億人の祖先がいることになる。実際には、祖先の重複があって倍々では増えていかないらしい。

 

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生成AIに教えてもらったのが、「系図学的祖先崩壊(Pedigree Collapse)」というもの。

それによると、

​祖先の数は、約1,200年前〜1,500年前にピークを迎え、その数は数万人から数十万人程度であった可能性が高い。

それ以上さかのぼると、最終的に共通の祖先へと収束していく。

ある時代より前の人は、「現代人全員の祖先」か、あるいは「誰の祖先でもない(家系が絶えた)」かの、どちらかしか存在しないことになるのだという。

紀元前1,400年くらいまでさかのぼると、僕と、大谷翔平と、お釈迦さまと、ローマ法王レオ14世と、ドナルド・トランプの共通の祖先がいるのだ。

にわかには理解し難いが、どうやらそういうことのようなのだ。

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