前回の朝ドラ『ブラッサム』に続き、また黒板五郎の遺言の話です。
倉本聰の座右の銘は、次のチャールズ・チャップリンの言葉だそうだ。
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。」
これに完璧に当てはまる事件の判決が出た。
2026年10月2日の毎日新聞によると(一部省略)、
「紀州のドン・ファン」と呼ばれ、2018年に死亡した和歌山県田辺市の資産家の遺言書の効力が争われた訴訟で、最高裁は親族側の上告を棄却する決定を出した。
全財産を田辺市に寄付するとした遺言書を有効とした1、2審判決が確定した。
遺言書は、白色無地の紙に赤ペンで「いごん 個人の全財産を田辺市にキフする」と記載され、日付や署名、押印もあった。
市は19年に遺産を受け取ると発表。遺産は13億円超とされる。
遺言書の写真:
https://mainichi.jp/graphs/20250919/mpj/00m/040/089000f/20250919k0000m040079000p?fm=line
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この裁判は故人の親族が遺言書の無効を求めたものだ。
これとは別に、元妻の殺人罪については一審、二審ともに無罪で、検察が最高裁に上告している。
整理すると、
遺言書が有効な場合
①妻が無罪なら妻が1/2を得る
②妻が有罪なら全財産は田辺市のものになる
遺言書が無効な場合
③妻が無罪なら法定相続分は妻が3/4、親族が1/4を分け合う
④妻が有罪なら親族が全財産を分け合う
と、いうことらしい(不正確かもしれない)。
要は、遺言書が無効と認められれば親族には巨額の遺産が入るということだ。
親族は最高裁まで争ったが、結果は取り分ゼロで確定し、多額の弁護士費用の支払いが残った。
故人は、50歳以上も年下の若妻に財産を奪われ(そうになり)、不審な死を遂げた。
元妻は、老人と結婚し、挙句の果てに夫を殺害した(今のところ無罪である)。
親族は、遺言書は偽物だと主張して泥沼の法廷闘争を繰り広げた。
ことの成り行きをクローズアップで見れば、欲に目がくらんだ者たちのドロドロの悲劇である。
一方、僕のような無関係な第三者がロングショットで眺めたら、この悲劇は喜劇に一変する。
最高裁まで巻き込んだすったもんだの末に、紙切れに赤ペンで書かれた一筆は有効とされて、全員ずっこけて終わった。
知ったこっちゃない他人事として見る分には、これほど滑稽な見せ物はない。
ここで黒板五郎の遺言である。
「遺言 純、蛍 俺にはお前らに遺してやるものが何もない。
でも、お前らには、うまくいえんが、遺すべきものはもう遺した氣がする。
金や品物は何も遺せんが、遺すべきものは伝えた氣がする。(以下略)」
五郎の遺言は、財産分与について記したものではなかった。心情の発露であり、一種のポエムである。
誰に何をやるとかはどこにも書いていないが、純と螢はそれを読んで五郎が大切なものを遺してくれたことを理解するだろう。
お金も電気も水道もない不便な暮らしを通じて、純と螢は自然から学び、知恵を絞り、自立して生きる力を育んだということを。
金品を残さなかった父親から無形の「遺産」を受け継いだということが倉本聰が言いたかったことではなかったか。
派手な生き方を世間に見せて楽しんでいたとおぼしき資産家の男は、欲望のままに若い女性と結婚した。
相続について具体的に記した「遺言書」を残しはしたが、それは怪しいものであり、残された者たちを大混乱に陥れた。
でも、誰かを傷つけたわけではないだろう。まわりが勝手に右往左往しているだけだ。
本人はやりたいことをやった愉快な人生だったのではないか。してやったりと、あの世でほくそ笑んでいるのかもしれない。
ブラックコメディ映画のエンディングにふさわしいではないか。


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