NHKの『連続テレビ小説』、いわゆる『朝ドラ』を観るのが30年来の朝の習慣になっています。
前作は静止画のような落ち着いた作風で朝ドラらしくなく、途中から単なる時計代わりになってしまった。
今作の『ブラッサム』は宇野千代という著名人をモデルにし、出演者も豪華でNHK大阪の本気を感じる。
第1週を観て思うのは、主人公の父親のクズっぷりがハンパないということだ。
ほぼ実話だというから驚く。どうしたらこんな人間が出来上がるのか?と呆れる。
豪商の次男で、家を継がない代わりに本家から巨額の仕送りをもらっている。しかし、それをバクチと遊郭につぎ込んで家には入れない。家では妻と娘たちに暴力を振るう暴君だ。完全な人格破綻者である。
明治時代には家長に絶対的な権力があったし、資産で豪遊することが地方の資産家のステータスでさえあったらしい。問題を起こしても本家の力と金でもみ消してくれるから反省しない。
「バカ息子の放蕩」は古今東西、世界共通の歴史的パターンのようだ。以前、大手製紙会社の御曹司がラスベガスのカジノで大金を溶かしたことがニュースになった。
3代で財産を失うということわざは世界中にあるらしい。
宇野千代の父親も「世界のバカ息子」の典型例であり、実家が甘やかし続けた結果、モンスター化してしまったのだ。
そのおかげで宇野千代は強烈な自立心を培ったというから皮肉である。
親の遺産を食いつぶす「バカ息子」が世界中にあふれる一方で、何世代にもわたって堅実にビジネスと資産を受け継いでいくファミリーも存在する。えらいと思う。
親から子供への財産の相続は何かと難しい。
僕の父親の場合、金額こそ知れていたが権利関係が込み入っていたので手続きに手間取ったものだった。
倉本聰さんが亡くなったのをきっかけに、あらためて『北の国から』の黒板五郎の生き方を思い出してみる。
黒板五郎の「遺産」とはどのようなものだったろうか。

黒板五郎の遺言
「純、蛍 俺にはお前らに遺してやるものが何もない。
でも、お前らには、うまくいえんが、遺すべきものはもう遺した氣がする。
金や品物は何も遺せんが、遺すべきものは伝えた氣がする。
(中略)
金なんか望むな。倖せだけを見ろ。
ここには何もないが自然だけはある。自然はお前らを死なない程度には充分毎年喰わしてくれる。
自然から頂戴しろ。そして謙虚に、つつましく生きろ。それが父さんの、お前らへの遺言だ」
五郎は金目のものは何一つ残さなかった。
通常なら子供はガッカリするだろう。親を憎みさえするかもしれない。
しかし、純と螢は五郎が大事なものを遺してくれたことを知っている。それは生きるための行動原理であり、知恵であり、生きる力だった。
お金も電気も水道もない不便な暮らしを通じて、純と螢は自然から学び、知恵を絞り、自立して生きる力を育んだのだった。
それは、実は作者の倉本聰が父親から受け継いだ「遺産」そのものだったらしい。
僕は、親から哲学とか生きる知恵みたいなものを受け継いだという自覚がまったくない。なんとも不甲斐ない親と子であることか。
残りの人生、五郎の生き方を思い出してどこまで実践できるか。トライしてみる価値はあると思っています。



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