2026年9月28日は僕にとって悲しい日となった。敬愛する2人の偉大な芸術家の死を知ったからだ。
倉本聰(脚本家、文筆家、演出家 1935/1/1〜2026/9/18)
鈴木良雄(ジャズベース奏者、作曲家 1946/3/21〜2026/9/23)
こんな書き出しで、倉本聰について別稿に書いた。ここでは鈴木良雄(以下、敬称略とします)について記したい。
9月28日はマイルス・デイヴィスの命日。マイルスを聴きながら自宅で仕事をしていた。ふと見たInstagramで鈴木良雄の逝去を知り呆然とした。
嘘でしょ?
つい最近まで元気にライブ活動を続けておられたはずではなかったか。
思えば2025年7月24日、京都の Bonds Rosary で The Blend のライブを観たのが最後になってしまった。
著書『死ぬまでジャズ』と The Blend のCDにサインをいただいた。祇園祭後祭の山鉾巡行の夜だった。
僕が鈴木良雄の生演奏を初めて聴いたのは、たしか1985年のこと。
ガキの僕は雑誌『スイングジャーナル』を鵜呑みにして、アメリカの昔の「名盤」ばかり聴いていた。それは勉強であり修行のようなものだったと思う。
本当に好きだったのはそんなカビ臭いジャズではなかった。山下洋輔トリオと佐藤允彦トリオ、McCoy Tyner、ドイツのECMレーベルなどだ。
鈴木良雄の音楽は未知だった。
ニューヨーク生活から帰国して六本木ピットインで開いた凱旋コンサート。日時も出演者も覚えていない。
司会は音楽評論家の青木誠だったような気がするがわからない。前日にタモリが来たと言っていたのは覚えている。
そこで奏でられた鈴木良雄の音楽はオーソドックスなジャズとは違っていた。
あえて言うならフュージョンだし、ECMのような透明感を湛えた音楽だったと記憶する。今になって思うに、当時発表されていたアルバム『Morning Picture』のような音楽だったのだろう。
再び鈴木良雄の音楽に触れたのは、およそ30年後の大阪のジャズクラブ『Royal Horse』での 山本剛のピアノとのデュオだった。
そこでの鈴木良雄はオーセンティックなジャズに回帰していた。
何より印象的だったのは、ウッドベースの音色の美しさだ。
バッキングもソロも見事で、奇をてらったところがまったくない、非の打ち所のない演奏だと感服した。まさしく名人。
その後、BASS TALK のライブに何度か行った。新宿ピットインでも聴いたし、壱岐坂ボンクラージュで増尾好秋とのデュオも聴いた。カビ臭さの微塵もないフレッシュな音楽。
なぜそんなに鈴木良雄に惹かれたかと言えば、音楽の素晴らしさはもちろんのこと、ライブMCやサイン会でのお話からうかがい知れる人間性が素晴らしかったからだ。
(演奏中を除き)いつもほほ笑みをたたえ、話し方はソフトで、非常に穏やかな印象を受ける人だった。ダジャレを飛ばすお茶目な一面があった。大御所なのに全然威張ってなくて人心を惹きつける人だった。
ニューヨークという生き馬の目を抜く地で、10年以上にわたり本場のジャズ界を生き抜いてきたとは思えない、人当たりのソフトな人だった。
ベーシストという特性かもしれない。ジャズ界においてベーシストはバランス感覚に優れた信頼できる人が多いのだ。
帰国後40年以上にわたり日本のジャズ界を牽引してきた、日本ジャズ界最高峰のレジェンドであり、まだまだ活躍されると僕は信じて疑わなかった。
最近『Morning Picture』のアナログレコードを買い、今度京都に来演されたらサインをいただこうと思っていたのに。
タモリとの有名なエピソード。
鈴木良雄は早稲田大学ジャズ研でタモリの1学年先輩。
「マイルスのトランペットは泣いているが、お前のトランペットは笑っている」と、タモリに引導を渡したという話。
鈴木良雄に言われたら納得かもしれない。
数多くのジャズライブに行って多くのミュージシャンと接してきた。その中でダントツで大好きで心から尊敬できる人だった。
鈴木良雄さまのご冥福をお祈りします。

著書『死ぬまでジャズ〜鈴木良雄・自伝』
リーダーアルバム:

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