1.はじめに
2026年9月28日は僕にとって悲しい日となった。敬愛する2人の偉大な芸術家の死を知ったからだ。
倉本聰(脚本家、文筆家、演出家 1935/1/1〜2026/9/18)
鈴木良雄(ジャズベース奏者、作曲家 1946/3/21〜2026/9/23)
9月28日はマイルス・デイヴィスの命日であり、朝からマイルスを聴きながら仕事をしていた。そこに2人の訃報が立て続けに飛び込んできた。
倉本聰さんの体調が悪いことは聞いていたので覚悟はしていた。
鈴木良雄さんはあまりに突然だった。彼は早稲田大学ジャズ研でタモリの1年先輩であり、「マイルスのトランペットは泣いているが、お前のトランペットは笑っている」と、タモリに引導を渡した人である。
倉本聰さんも鈴木良雄さんも、その作品の素晴らしさはもちろんのこと、人間的にもとても魅力的で僕は大好きだった。
このブログでは倉本聰について記したい。
敬称略なのは、彼は黒澤明や宮崎駿と同格の偉人だからである。「先生」と呼ぶ間柄でもない。
2.倉本聰との出会い
倉本聰のテレビドラマを初めてリアルタイムで観たのは、1978年の『浮浪雲』(はぐれぐも)だったと記憶する。
1974年のNHK大河ドラマ『勝海舟』は、主演の渡哲也が松方弘樹に交代したことをかすかに覚えているけれど、脚本家のトラブルのことなど当然知らなかった。
『浮浪雲』も主演は渡哲也であり、役柄とのミスマッチが面白かった。僕は息子の新之助に感情移入していたように思う。
父と息子の関係は、後の『北の国から』にも通じるようだ。
妻のかめ役は桃井かおりだ。『前略おふくろ様』など、1970年代の倉本作品の常連だったことは最近知った。
僕は倉本聰のドラマをたくさん観てきたわけではない。
リアルタイムで観たのは『浮浪雲』、『北の国から』シリーズ、『優しい時間』だけだ。つまり、倉本聰のドラマを大好きだったわけではない。
最近になって『前略おふくろ様』と、『東芝日曜劇場』の何本かをDVDで観た。他には『富良野やすらぎの刻』で昔の作品を何本か観ただけだ。
倉本聰の本を初めて読んだのは『北の人名録』だ。『北の国から』を放映していた頃だったか。
富良野は自然が厳しくも美しいところなのだなぁと感嘆しつつ、登場する富良野の人々が生き生きとして、なんとも可笑しかった。
僕は、脚本家としてより文筆家、思想家としての倉本聰を好んでいたと思う。
3.倉本聰の魅力
脚本家という裏方でありながら、倉本聰は表に出る人だった。
これにはやむにやまれぬ事情があったことを、追悼番組の『徹子の部屋』で知った。
『北の国から』と映画『駅』を書くために8カ月休んで収入が絶えたので、トマトジュースのTV-CMにいやいや出たらしい。
『北の国から』と『駅』はトマトジュースのおかげだという🍅
同時代に山田太一と向田邦子がいたが、表に出る人たちではなかったと思う。向田邦子はこれからという時に飛行機事故で死んでしまった。
倉本聰はテレビ史上で唯一無二のスター脚本家ではないか。
さて、倉本聰は男前である。これが大きいと思う。
目がギョロッとして目ぢからが強い。
声が良く通り、歯切れのよい喋り方をする。話は論理的で雄弁だ。そして何より情熱を感じさせる人だ。
東京の良家のお坊ちゃんであり育ちが良いから、振る舞いに気品を感じさせる。東大卒のエリートでありインテリなのに、偉そぶらない雰囲気がある。
要するに憧れの対象になる人なのだが、産み出す作品は妙に重々しく辛気臭かったりする。そのギャップが面白い。
4.僕の富良野通い
僕は『北の国から』ファンとは言え、ロケ地巡りを駆け足で2度ほどしただけのライト級ファンだった。
コロナ禍でヒマになり、買ったまま放置していた『北の国からDVDマガジン』を見直して、ファン心がムクムクと沸き上がってきた。
『富良野やすらぎの刻』が毎月開催されていることを知り、できる限り富良野に行くようになった。2023年の夏のことである。
1〜2ヶ月に一度、倉本聰の姿を観て声を聴いているうちに、倉本聰を親戚のおじさんのように思うようになってしまった。無礼な話である。実際には人間国宝級の偉人なのだ。
富良野の町にもすっかり馴染んだ気になっていた。実のところ、月に一度パッと行って帰るだけ、良いとこ取りをしているだけであり、何も分かっていないのだろう。
しかし、富良野が身近になるにつれ、意外なことを知ることになった。祖父と母親が富良野で暮らしていたことがあったという事実だ。これについてはブログに書いた。
母親の若かりし日のことを少し知れたのは、倉本聰が僕を富良野に誘ってくれたおかげである。
富良野通いの副産物として、富良野の農作物の美味いことに驚いたということがある。
玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、カボチャ、メロン、アスパラガスなどだ。北海道と言えば海産物とジンギスカンというイメージが覆された。

5.富良野の未来
富良野を訪れる観光客が増えたのは『北の国から』のおかげであることは間違いない。
しかし、2002年にシリーズが終了して24年が経ち、ファンも関係者も高齢化が進んでいる。麓郷(ろくごう)のロケ地がいつまで保存されるのかわからない。
『富良野やすらぎの刻』が終了して、富良野に「行かねばならない」用事は僕にはなくなった。今後は、郷愁に浸るためにごくたまに麓郷を訪れるだけだ。
今の富良野、特にスキー場のある北の峰地区はニセコ化が進み、不動産バブルで沸き立っているらしい。東京から遠く離れた富良野も「金、金、金」である。
『富良野やすらぎの刻』で、倉本聰が富良野市の姿勢に苦言を呈していたのを覚えている。
6.おわりに
北海道庁のかつてのキャッチフレーズ「試される大地。」に、倉本聰は選考委員として関わったという。
「新しい発信をする日本のモデル地域として、北海道が試されている」というのが意図らしい。
富良野も試されているようだ。倉本聰はそれも予言していたのだと思う。
倉本聰が「創った」作品群は、僕の「心の洗濯」をしてくれた。感謝します😊

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