以下は、叔父が記憶をもとに語った内容であり、文中の主語「私」は叔父、「母」は叔父の母すなわち僕の祖母のことである。
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富良野での生活は、昭和26年(1951年)の12月に始まった。
北海道の冬の遊びといえば、やはりスキーである。富良野小学校では、冬の間に2回ほどスキー遠足があった。

スキー遠足の時には母が海苔おにぎりを作ってくれた。おにぎりをすき間なく海苔で包み、それを手ぬぐいの真ん中に置き、くるくると巻いて私の腰にしばりつけてくれた。
海苔でくまなく巻いた上に体温で保温することで、おにぎりを凍らせず、食べる時まで温かくしておくのだ。母の愛が込められた工夫だったのだと思う。
母はまた、背中と下着の間に必ずタオルを入れてくれた。目的地まで歩き、スロープを上ると汗をかく。その時点で、背中側に少し出してあったタオルの端を、私が自分で引き抜くのだ。風邪を引かないための対策である。
ここで言うタオルは手拭いだったかもしれない。当時バスタオルは湯上りに使っていたが、さらし木綿に店の名前などが染め抜かれた手拭いを背中に入れた可能性もある。

ところで、私はスキーで曲がるのが得意ではなかったので、スキーはあまり好きな遊びではなかった。
次の冬だったと思うが、富良野小学校の校庭にスケートリンクが作られた。校庭に雪で囲いが作られ、そこに消防車が水をまいて凍らせたものだった。
私のスケートは、最初は「竹スケート」だった。40センチほどの長さに割った竹の先端を曲げたもので、当時は冬になると、どこにでも売っていた。長靴でその上に乗り、ツルツルした道路で滑って遊んだ。


さらに、金属製の「雪スケート」も売られていた。長靴に皮ベルトでしばりつけ、これも道路で滑って遊ぶ。
当時の冬の履物といえば長靴が普通で、冬用のシューズがあったかどうかは分からない。
長靴ではなく、スキー靴に雪スケートを付けると、ブカブカせず安定した。当時の子供用スキー靴はゴム製だった。
やがて、着脱の楽な金具付きの「氷スケート」を買ってもらった。

靴と刃が一体になった、いわゆるスケート靴を手に入れたのは、私が大学生になってからだったと思う。
私はスキーは苦手だったが、スケートは好きだった。冬の放課後、学校から戻ると、ほとんど毎日のように校庭のスケートリンクへ通った。
リンクは校庭のオープンスペースに設けられており、入り口というものはなかった。小学校の施設ではあったが、誰でも自由に利用できた。
1954年(昭和29年)には、男子世界スピードスケート選手権大会が札幌で開催されている。
開催が決まったのはその数年前であるから、札幌開催に刺激ないしヒントを得て、富良野小学校の校庭にスケートリンクが作られることになったのかもしれない。
なお、スキーの町である富良野でスケートが流行?したのは、私が住んでいた当時の一過性のものだったのかもしれないが、その後どうなったのだろうか。


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