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昭和20年代の富良野〜その5 なまこ山、黒板五郎

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以下は、昭和16年(1941年)生まれの叔父が記憶をもとに語った内容であり、文中の主語「私」は叔父のことである。事実関係に誤りがないかは未確認である。

 

【なまこ山】

 私が富良野でよく出かけた場所が朝日ヶ丘公園だった。当時は通称「なまこ山」と呼ばれていた。

空知川の橋を渡り、川沿いの麓の道を山の中ほどまで進むと、まっすぐに延びた急な階段があり、それを上っていった。今でもあの階段が残っているのかどうか。

 

現在は裏手にホテルやレストランなどがあるらしいが、当時は山葡萄の蔓などに覆われた自然林だった。秋になると山葡萄やコクワ(サルナシ)を探したものだ。

 

そして、なまこ山の裏手をどんどん進んでいくと北の峰スキー場だ。

冬の国体のスキー大回転競技を、本来は札幌で開催する予定だったが、雪不足のため急きょ北の峰で行われたことがあった。私が小学五年生の頃だったと思う。

この大会をきっかけに、急斜面のすばらしいコースがあることが世間に知られるようになった。その後、この場所は一般向けのスキー場として開発が進んだのではないかと思う。

1962年に北の峰にリフトが設置されてから、「北の峰スキー場」として宣伝されるようになり、広く知られる存在になっていったと思う。

 

【街の書店】

 小学校で新学期を迎えると、新しい教科書を書店で手に入れた。今は無償で学校から配られるのだろうが、当時は有償で、学校が指定する書店で購入した。

昭和20年代の富良野には、商店街の中に比較的大きな書店が一軒あった。

そこが唯一の書店であり、教科書の販売店でもあったと思う。教科書を扱うことで、あの規模の書店を維持できたのかもしれない。

 

本といえば、毎月楽しみにしていたのが子供向け雑誌だった。小学館の『小学〇年生』と、学研の『〇年生の学習』があり、私は学研の方を選んでいた。

発売日になると、何を置いてもその書店へ向かった。

時には「まだ来ていない」と言われることもあった。今思えば、読み物そのものよりも、付録を楽しみにしていたのかもしれない。

 

私は本を読むのが好きな少年ではなかったと記憶するが、家にあった本はよく読んだ。

家には兄のための『小学生全集』があり、童謡、童話、児童劇シナリオ、伝記、その他盛りだくさん。小学生向けにしてはかなり高度な内容で、漢字には全部ルビがふってあった。

 

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この叔父(三男)は、昭和29年の夏、中学1年の1学期が終わると札幌へ転校していった。

叔父(次男)は一足先に、中学3年の途中で札幌に転校していた。僕の母も、富良野には1年ほどいただけで札幌に出て就職した。

札幌の姉と兄に叔父(三男)が合流して、姉弟3人の札幌での暮らしが始まった。

祖父母は引き続き富良野にいたようだ。

 

2人の息子を転校させてまで札幌にやったのは、札幌での教育の機会を与えるためである。祖父の、学歴に対する強いこだわりがうかがえる。

 

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『北の国から』の黒板五郎の生年月日は、昭和9年(1934年)10月か昭和10年1月というのが有力のようだ。作者の倉本聰と同じ頃だ。

そして、僕の母と同学年である。

五郎は昭和25年(1950年)4月に富良野工業高校に入学、28年3月に卒業して上京している。

もし実在の人物であったなら、僕の祖父一家と同時期に富良野の街を歩いていたことになる。母とはちょうど入れ違いだが。

五郎の履歴書を読むと、なかなかのワルだったようだ。富良野の商店街を肩で風を切って歩く五郎たち不良の姿を、叔父が遠巻きで見ていたかもしれない。妄想は膨らむ。

 

コメント

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