昭和26年12月、祖父の転勤に伴い富良野にやって来た祖父一家。母は高校在学中のため、その時点では同行していない。
叔父(次男)は富良野東中学校に転入し、
叔父(三男)は富良野小学校に転入し、その後、富良野東中学校へ進学した。

富良野の中心街は富良野駅の西側であり、祖父一家の官舎も職場も小学校もすべて西側にあった。
富良野市の地図を見ると、市街地には東中学校と西中学校があるが、叔父たちが通った東中学校は富良野駅の東側に位置している。官舎は学区としては東中学校の区域だったようだ。
東中学校への通学路は、官舎の裏から続く、あぜ道のような道だった。その道を通り、国鉄根室本線の線路を渡り、亜麻(アマ)工場の横を抜けて学校へ向かった。
官舎から学校までの道中、中学校周辺に至るまで、あたり一面はほとんど田んぼだったそうだ。


亜麻(アマ)とは、繊維の原料となる植物で、亜麻の糸を織ったものがリネンである。
亜麻工場は田んぼの中に建っていた。
亜麻は水田の裏作として栽培されており、工場周辺の水田でも育てられていたのだと思われる。


富良野駅の東側には、亜麻布の繊維を生産する工場が、半世紀にわたって存在していた。周辺には倉庫や社宅も立ち並んでいたという。
戦後は化学繊維が普及したために亜麻の需要は減り、昭和43年に工場は閉鎖された。工場も亜麻畑も一気に消え去り、跡地は造成されて現在はニュータウンになっている。
その一帯の地名が「麻町」となっているのは、かつての名残だ。



昭和20年頃には北海道のいたるところに亜麻畑があったというが、昭和40年代には姿を消した。
近年は種子を食用に供するために、道内の一部で栽培が復活しているらしい。亜麻仁油(あまにゆ)の原料だ。
ちなみに「亜麻色」とは、亜麻の繊維の色のことで、黄色がかった薄茶色だそうだ。
昔、『亜麻色の髪の乙女』という歌があった。どんな髪色かも知らず漫然と聴いていたが、あの乙女は明るい茶髪だったのだ。


田んぼの中に建つ東中学校から、北へ向かって田舎道が続いていた。その先にはリンゴ園が広がり、鳥沼地区と呼ばれていた。現在の鳥沼公園のあたりである。
当時は、ほとんど人が足を運ばないような場所だったらしいが、今では立派な公園になっている。
『北の国から ’98時代』で、純(吉岡秀隆)とシュウ(宮沢りえ)がボートに乗った池がある公園だ。
なお、実際には鳥沼公園は東中学校の東方に位置している。



👇️亜麻についてはこちらを参照
▶️https://www.hk-curators.jp/archives/3765
▶️https://www.pref.hokkaido.lg.jp/kn/tkn/hana/flower/hh001.html

昭和20年代の富良野 〜その2 – 心はいつでも北の国から への返信 コメントをキャンセル