昭和20年代の後半に富良野で暮らした母方の祖父一家。
当時のことについて叔父から追加情報を得たので、叔父の語りの形式で書き記しておきたい。
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【駅前旅館】
富良野に着いた初日に泊まった旅館は、駅前広場を挟んで駅舎と対面する、まさしく駅前にあった。名前はたしか「富良野旅館」だったと思う。

【映画】
当時は時代劇が全盛で、母はとりわけ長谷川一夫のファンだった。
母に連れられて映画館へ行くと、観るのはたいてい時代劇か、あるいは三益愛子主演の、いわゆる「母もの」と呼ばれる作品だった。
母は、映画の筋〔物語〕よりも、良い俳優を見に行くと言っていた。
スクリーンには、市川歌右衛門、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、坂東妻三郎といった名優たちが並び、長谷川一夫の相手役には京マチ子が出ていた時代である。
子ども心には、「母もの」の映画で見た松島トモ子の姿が強く印象に残っている。

もっとも富良野は地方の町である。都会のような封切り上映はなく、公開から何か月も経った映画が二本立てで、三日ほどかけて上映されるというのが普通だった。
洋画もまったく無かったわけではない。姉や兄はチャップリンの『ライムライト』を観たと言っていたし、私もチャップリンの『独裁者』を富良野劇場で観た記憶がある。
ただ、アメリカの大作映画は高価だったため、地方の劇場にかかることはほとんどなかった。
中井貴一のお父さんの佐田啓二と岸恵子が主演の映画『君の名は』(NHKの連続ラジオドラマが映画化されたもの)を富良野で見ているかも知れない。母は、熱狂していたと思う。
▶️『君の名は』
https://www.shochiku.co.jp/cinema/database/02805/
映画館は映画だけの場所ではなかった。浪曲や女剣劇の公演も行われ、町にとっては貴重な娯楽の拠点だった。
そうした催しを、母は心から楽しんでいたのではないかと思う。税務署長である父母は地方ではいわば名士の夫婦であり、長男は東大生。生活にはどこか余裕と誇りがあったはずだ。
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その後、父は富良野から道南の江差町に転勤し、故郷に錦を飾ることになる。
そして、余市町へと転勤した。
余市といえば、ニッカウヰスキーの町である。酒造会社は酒税の関係で税務署との結びつきが強い。
酒には定率の税金がかかっているので、出荷量などを税務署に正直に申告しなくてはならないのだ。
父は創業者の竹鶴政孝(1894〜1979)と親しくしていたという。竹鶴がまだ健在だった時代のことである。
▶️【余市蒸留所】
https://www.nikka.com/distilleries/yoichi/

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ここまでが叔父に聞いた話である。
折しも現在、朝ドラ『マッサン』が再放送中である。あの主人公と祖父が親しかったとは驚きだ。
祖父は、最終的には札幌で定年を迎えた。
幼かった僕の記憶にあるのは、札幌の家であり、税務署を退官後の祖父の姿ということになる。
たしか、祖父はお酒の関係の仕事をしていたと記憶する。家の中に、自家製の果実酒が入った大きなガラス瓶が、いくつも並んでいたのを憶えている。
祖父と酒との関係は、なるほどそういうことだったのか!と、今さらながら思う。

祖父は、昭和62年(1987年)の7月、82歳で亡くなった。
僕が最後に祖父に会ったのは、その年の春休みに、札幌の病院に見舞いに行ったときだ。
僕が病室を去るとき、祖父は右手を上げて、さよならのポーズをとった。僕も右手を上げた。それが最後だった。いつもの優しく穏やかな顔だった。
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知らなかったことが次々に明るみに出て驚くやら感動するやらである。
こうして母方の祖父母のことはある程度知ることができたが、父方の祖父母のことは今となっては知るすべがない。
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ところで、NHKの『ファミリーヒストリー』という番組があるが、あれはどうもいただけないと思っている。祖先は一人ではないのに、特定の一人、それも男を祖先として祭り上げるからだ。
祖父母は4人いて、その前には8人いる。4代さかのぼれば16人の祖先がいるではないか。だから家系図というものも胡散臭いのだ。「家制度」と「家父長制」の産物であり、個人にはさして意味のないものだと思っている。
ちなみに、10代さかのぼると1024人、20代前で100万人、30代前で10億人の祖先がいることになる。実際には、祖先の重複があって倍々では増えていかないものらしい。そりゃそうだ。

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