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昭和20年代の富良野〜その6 祖父の奮闘を想う

 以前のブログで、母方の祖父一家が富良野に着いた日の夜、旅館の風呂から部屋に戻る途中で手拭いが凍って立ったというエピソードを書いた。それほど冬の富良野の寒さが厳しかったという、叔父の思い出話だ。

▶️昭和20年代の富良野〜その1 富良野へ

 


 母方の祖父が富良野税務署に署長として赴任したのは、昭和26年(1951年)12月のこと。祖父は明治38年(1905年)生まれなので、このとき46歳と働き盛りの頃である。今の僕よりずいぶん若い時が祖父にもあったのだ。

 
 祖父はそれまでは小樽で勤務していた。当時の小樽は、港湾と商業で栄える北海道有数の都市である。銀行や商社が立ち並び、道内経済の中心の一つだった。

 そこから内陸の農業の町・富良野へ。今でこそ富良野は観光地として知られるが、当時は農業と林業が中心の地方都市だった。大都市から地方への転勤なのだが、これはどんな意味を持っていたのだろうか。


 富良野は、上川地方南部の農業と林業を支える拠点であり、富良野税務署は周辺の町村も含めた広い地域を管轄していた。

 富良野が行政の拠点となった背景には交通の事情もある。根室本線と富良野線が交わる交通の要衝であり、広い北海道では鉄道が行政の動脈でもあった。

 官庁がこうした拠点都市に置かれたのも、自然な成り行きだったのだろう。


 昭和26年、日本はまだ戦後復興の途上にあった。この年、サンフランシスコ講和条約が調印され、翌年の主権回復へ向かう時期だった。

 国家財政を立て直すため、税収の確保は重要な課題となっていた。そんな富良野において、税務署の署長は、地域経済を支える現場の責任者でもあったと言えよう。


■農業と林業の町で

 当時の富良野の経済は、農業と林業が柱だった。

 戦後の食糧増産政策のもと、米・麦・豆などの生産は国の重要政策であり、農地改革後の新しい農家経営の中で、所得を把握し適正に課税することは税務署にとって重要な仕事だった。

 また、まだ石油へのエネルギー転換が進む前のこの時代、周辺の森林資源は建築材や燃料として高い価値を持ち、山林所得の管理も税務行政の大きな柱だった。

 祖父は、こうした地域の税務を統括する責任者として富良野に赴任したことになる。


■新しい税制度の時代

 1950年、日本の税制はシャウプ勧告によって大きく変わった。

 それまでの「賦課課税(税務署が税額を決める)」から「申告納税(納税者が自ら申告する)」制度へ。現在の税制の基本は、このとき作られている。

 しかし、制度を変えるだけでは社会は動かない。地方の納税者に制度を理解してもらい、信頼関係を築いていく必要があった。その最前線にいたのが、各地の税務署長だった。

 祖父は苦労して登用試験を突破した人物だった。複雑な制度を現場で運用し、地域の有力者(大規模農家や商人)と折り合いをつけながら税務行政を進める手腕を、期待されたのではないか。


■師走の赴任、広い管轄

 当時の富良野税務署の管轄は、現在の富良野市だけではなく、上富良野、中富良野、南富良野、占冠など広い地域に及んでいた。

 しかも赴任は12月、年末調整や確定申告準備が始まる繁忙期の直前である。

 交通事情は今とは比べものにならない。その広い地域の税務行政をまとめる仕事は、相当な苦労があっただろう。


■「三長」と呼ばれた時代
 当時、税務署長は警察署長・裁判所長と並んで「三長」と呼ばれ、地域社会で大きな存在だった。

 地方都市では、地域の有力者たちとも向き合う立場にあり、行政の中でも大きな責任を担う職だったと言われている。

 学歴への強い思いを抱きながらも、自力でキャリアを築いた祖父にとって、富良野税務署長という役職は一つの到達点でもあったのかもしれない。


 そんな重責を担っていた祖父だが、私の記憶の中の祖父は、小柄で華奢な、静かな人だった。眼鏡に口ひげの、ダンディーな雰囲気をたたえていた。

 実直を絵に描いたような人だったが、僕にはたいへん優しかった。僕の母、つまり娘を若くして亡くしたため、その子供である僕のことを不憫に思い、気にかけていてくれたのだと思う。

 祖父には3人の息子と、2人の娘がいた。長女は生後2カ月で亡くなり、次女である僕の母は30代の若さで亡くなった。祖父は生前、子供を自分より先に死なせてしまうことほど悲しいことはないと言っていたのを、今でもよく憶えている。


 手拭いが凍るほどの厳寒の中で、祖父は戦後の新しい税制度を地方で支える仕事をしていた。小樽から富良野への赴任は、単なる地方勤務ではなく、戦後日本の税務行政の現場を担う役割だったのだ。

 祖父が果たした役割を考えると、富良野という土地が、家族史の中で特別な意味を持つと思わざるを得ない。


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 ところで、『北の国から』の黒板五郎は、そんな昭和20年代の富良野で青春時代を過ごしていたのである。

 この偶然の同時代性を思うとき、僕が、富良野を舞台にした『北の国から』の世界観に魅せられたことに、何か運命的なものを感じずにはいられない。


※この記事を書くにあたり、当時の税制や時代背景の整理には生成AIの助けを借りた。

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