2024年の暮れに、倉本聰 原作・脚本の映画『海の沈黙』が公開された。
知人は「好きな映画だ」と言ったが、僕は苦手な映画だ。
最初に観たのは、富良野演劇工場での先行上映で、「うーん、わからない」。
復習をして、二度目は映画館で観て、「前より好印象だ」。
三度目はDVDを買って家で観て、「やはり僕には合わない」。
結局、第一印象が大きく変わることはなかった。
映画館では、大画面の迫力と色彩の鮮やかさに圧倒された。
しかし、テレビで観る場合には、迫力がない分、物語そのものの面白さが必要だと思うのだが、僕にはそれを汲み取ることができなかった。

倉本聰は、「美とは何か」というテーマを書いておきたかったのだという。
しかし、そんな抽象的なテーマが映画という形式で提示されたことで、僕にとってハードルが高すぎるものとなってしまったようだ。
画面は終始暗いし、グロテスクな場面も多いので、正直なところ、気持ちよく観られる映画ではなかった。
人気俳優の存在感と、「芸術的」なイメージショットに頼っているように思えた。
僕には、この映画自体が一枚の抽象画のように感じられ、作者に「自分で考えろ」と突き放されているように感じたのである。
もし、NHKの夜ドラ枠などで、過剰な演出のないドラマにしてくれたら、もっと腑に落ちるものになっていたかもしれない。
先日観た山田洋次監督の『東京タクシー』と比べると、僕自身の好みがハッキリしてくる。
山田作品に登場するのは、市井の普通の人々だ。観た後に心が少し温かくなり、「観て良かったな」と思う。
一方、『海の沈黙』に登場するのは、天才やインテリやセレブである。これは『北の国から』より後の倉本作品に通じるように思う。観た後にモヤモヤが残る。
山田作品の方に惹かれるのは、完全に僕の好みの問題だ。

単に僕の感受性に合わず、僕が理解するには荷が重すぎるテーマだったし、映画だったのだろう。
三度観たのは、もちろん僕が倉本聰ファンだからである。一方で、盲目的な信者ではないことも再確認できたと思う。
DVDを買ってしまったので、また気が向いたらトライすると思う。
蛇足だが、東京から小樽へ逃げた津山竜次(本木雅弘)は、富良野へ逃げた黒板五郎を思い起こさせる。
東京に敗北し、北海道へ逃げた倉本聰が、自分を投影しているのかなとも思う。

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