富良野にまつわる、きわめて個人的な話である。
まず、僕は北海道出身とは言うものの内地育ちであり、北海道は旅行者として訪れる場所だ。
そんな北海道の中で富良野は、テレビドラマ『北の国から』の舞台の地であり、とりわけ麓郷は聖地のような場所である。
今でこそ、ちょくちょく富良野に足を運ぶようになったが、自分には無縁の土地だと思っていた。
ところが、実はそうでもなかったことが、ずいぶん後になってからわかった。
現在、倉本聰のトークイベント『富良野やすらぎの刻 倉本聰プライベートライブラリー』が毎月開催されている。皆勤は無理でも、都合がつく限り観覧に行っている。
とは言え、富良野は遠い。
京都からだと、何回もの乗り継ぎと、二泊が必須である。時間も費用もかかる。

富良野の地名は、『北の国から』の放送前から、スキーのワールドカップの開催地として知っていた。
倉本聰という名前も知っていたはずだが、富良野との関わりまで知っていたかどうか記憶にない。
初めて富良野を訪れたのは、1990年頃のスキー旅行だった。『北の国から ’89帰郷』が放映された頃である。
その後30年ほどの間に、麓郷のロケ地訪問を二度ほどしただけで、『北の国から』ファンとしてはライト級だった。
状況が一変したのは、2020年に始まったコロナ禍である。リモートワークになり、時間に余裕ができた。
そこで、買ったまま放置していた『北の国から DVDマガジン』を、最初から最後まで観直した。
連続ドラマの最終回を観て号泣した記憶が蘇った。
久しぶりに、富良野に行ってみたいと思った。コロナ禍で観光客は少なく、旅費も安く上がる時期だったので、北海道を訪れる機会が増えた。
『富良野やすらぎの刻 倉本聰プライベートライブラリー』を知ったのは、2023年のことである。
本格的に富良野通いをするようになったのは、それ以降のことだ。
世の中には、『北の国から』マニアと呼ばれる、驚くほどの知識と見識を備えた人たちが大勢いることも、初めて知った。
僕は、入口から一歩踏み込んだ程度の、ミドル級のファンになったというところか。

さて、ここから本題である。
無縁の土地だと思い込んでいた富良野が、実はまったく無縁でもなかったことが、ずっと後になってわかった。
母が、若い頃に富良野に住んでいたという。
母は若くして他界したため知らなかったのだが、その話はごく最近になってから叔父から聞かされた。
母方の祖父は税務署勤めで、北海道各地を転勤していた人だった。そして、富良野税務署への転勤を命じられ、一家で富良野に移り住んだのだった。
母は小樽の高校を卒業後、富良野の洋裁学校に通っていたらしい。
叔父は昭和16年生まれで、富良野小学校の6年生の時に、札幌へ修学旅行に行ったそうだ。ということは、富良野にいたのは昭和20年代の終わり頃ということになる。
『北の国から』の黒板五郎が、高校を卒業して上京した時代とも重なる。
当時の富良野で、どんな暮らしをしていたのだろうか。この頃の生活ぶりについては、機会があれば叔父に詳しく聞いてみたいと思う。
その後、祖父は何度かの転勤を経て札幌に落ち着いた。僕がよく覚えている祖父の家は、その札幌の家である。
富良野は無縁の土地だと思っていたのだが、祖父一家の過去を知るにつけ、富良野との不思議な縁を感じてしまう。
『北の国から』はテレビの中のフィクションに過ぎなかったのが、祖父一家の生活とも重なり、僕自身とあながち無関係でもないということになった。
そして、富良野通いを重ねるにつれ、『北の国から』と倉本聰の世界観に魅了されていき、北海道への憧れがつのり、「東京から卒業する」ことが、僕の頭のなかで形を整えてきたのである。

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