先日、山田洋次監督の新作映画『東京タクシー』を観た。
山田洋次は1931年生まれ。倉本聰より三歳上だ。
観た後に、ほんのりと心が温かくなるのは、他の山田作品と同様だ。
山田作品に登場するのは市井の人々であり、大事件が起こるわけでもない。
普通の人々のすったもんだに笑わされ、泣かされ、観終わった後には「あぁ、観て良かったな」と思う。
そして、自分もまた誠実に生きていこうと思わせてくれる。
それにしても、山田洋次と倉本聰は、作風が見事に対照的だと感じる。
(余談だが公式サイトの作りはよく似てる)
倉本作品は、絶対にハッピーエンドにならない。
どちらかと言えば、ビターエンドだ。
観念的であり、観る者を突き放す。
そして、大いなる余韻を残す。
考えさせる。自省させる。脳ミソが疲れる。
家でDVDでも観ようかと思ったとき、山田洋次にするか、倉本聰にするか。
泣いて、笑って、最後に少し救われた気分になりたければ、これはもう山田洋次、一択である。
『男はつらいよ』、『幸福の黄色いハンカチ』、『家族』、『学校』、『遥かなる山の呼び声』、、、
姿勢を正して教えを乞いたい気分なら、倉本聰になる。
特に『北の国から』は、僕にとっては必須科目の講義のようなものだ。
僕は以前のブログに、倉本聰の「東京から卒業した」という言葉について書いた。
そして、競争や効率、上昇志向といった東京的価値観から、僕自身も距離をとった生き方をしたいと書いた。
けれども、『東京タクシー』を観て、山田洋次の描く東京に対する、郷愁のようなものが、僕の中にあるのも否定できないと思った。
『男はつらいよ』の葛飾柴又に代表される、下町の人情、むき出しの喜怒哀楽。
東京の中にも、東京的価値観から距離を置いた生き方が、もしかしたらまだ残っているのかもしれない。
そんなふうに思ってしまう。
そんな儚い想いを抱くのは、僕自身の幼少期の東京の思い出が、美化されているせいかもしれない。
僕の人生の一部は東京でできている。完全なアウトサイダーではない。
それに、古今亭志ん生の江戸落語が好きなせいもあるかもしれない。
いや、逆か。東京に愛着があるから、江戸落語が好きなのか。
僕にとって山田洋次の映画は、東京を見捨てきれない気持ちを呼び起こす装置と言える。
いずれにせよ、僕は東京が「悪」だと断罪したり、
東京からの卒業が「正解」だと言いたいわけではない。
「東京からの卒業」という道を、僕は選びたい。
ただ、それだけのことだ。

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