『北の国から』で黒板純は、
「東京はもうおれ――。卒業したンだ」(’92巣立ち)、
「卒業したンだ。東京は、もう」(’95秘密)と、
同じ言葉を二度口にします。


以下、倉本聰を敬称略で表記します。
僕にとっての倉本聰は、「先生」と呼ぶ存在というより、すでに歴史上の人物だからです。
「東京を卒業した」という言葉が二度繰り返されるのは、
当時の倉本自身の気持ちが投影されていたからだと思います。
倉本が東京を離れ、富良野に移り住んでから、この時点でおよそ十五年。
東京で生まれ育った純に代弁させることで、自分自身に言い聞かせていたのではないでしょうか。
うん、この選択で良かったのだ、と。
「卒業したンだ」という言葉は、
誰かに向けた宣言というより、
自分を納得させるための言葉だったという印象を受けます。
僕自身も、かつて十年ほど東京で暮らしました。
でも、もう一度住みたいとは思いません。
今では、新幹線が品川駅に近づくあたりから、否応なしに緊張感が高まっていく。
ああ、来てしまった….
東京駅に降り立った瞬間、
得も言われぬピリピリした空気を感じてしまいます。
あの、常に張りつめた感じ。
居心地の悪さ。よそ者感。
人々はみな、いつも急いでいます。
何かに追われているというか、
取り残されることを恐れているように見えます。
現在、僕が暮らす京都も都会ですが、
ちょっとノンビリした空気が漂い、東京ほどの緊張感はありません。
札幌も、一極集中のミニ東京。
大都市ですから緊張感はありますが、もっとゆるめな感じです。
街の背後に大空と大地があります。
逃げ場としての、大きな余白があります。
東京には、その余白がありません。
どこまで行っても、街、街、人、人。
逃げ場がありません。
際限のない上昇志向と、
自分たちが日本の中心であり、
世界の先端にいると信じて疑わなかった、そんな無邪気な傲慢さ。
お金さえあれば、望むものすべてが手に入り、何もかも解決できると、
錯覚してしまう場所。
僕にとって東京という街は、ただそこにいるだけで疲れる街です。
「東京を卒業する」とは、
そんな東京の価値観とは別の価値観で生きる、ということです。
若い純は、まだ自覚的ではなかったかもしれませんが、直感的に察知したのでしょう。
東京の空気の中で生き続けるのは違うな、と。

僕自身もまた、東京的な価値観から少し距離を置き、北海道で余生を送りたいと願っています。
おそらく『北の国から』のファンとは、
東京的価値観から距離を置きたい人なのだろうなと、勝手に思っています。
金がなくたって、
効率が悪くたって、
いいンでないかい?
パソコンでカボチャは作れンべさ。
「東京を卒業する」という言葉は、
純だけでなく、今の僕自身にも向けられた言葉です。

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